長親山西光寺は、500年以上の歴史を持つ真宗大谷派のお寺です。

今から550年ほど前の応仁2年(1468年)、本願寺8代 蓮如上人が三河に滞在し、布教されました。その折、針崎の勝鬘寺は、真宗高田派から本願寺派に転派しました。その後明らかではないが、信心深い勝鬘寺門徒某に蓮如上人筆と伝えられる「名号」が、勝鬘寺を通して下付されました。「名号」を授けられた門徒某は井ノ口村に一宇を建て、「名号」を掲げ、勝鬘寺下 井ノ口道場を開き布教に努めました。

50年ほどたった文亀3年(1503年)、井ノ口道場の地に、勝鬘寺の法弟 明心師を開山として、勝鬘寺下 長親山西光寺が創建されました。

更に60年ほどたった永禄6年(1563年)、三河一向一揆が起きました。1年後にこの一揆は終わるが、家康は一揆方の首謀者を追放し、浄土真宗(一向宗)の道場・宗教活動を禁止しました。一向一揆方に加担した西光寺住職は、身の危険を感じ、奥殿村に逃れました。

20年後の天正11年(1583年)、家康により浄土真宗の道場・宗教活動の再開が許されました。西光寺住職は、宗教活動の再開と寺の充実に努めたと思われます。西光寺が井ノ口村に創建されてから以後の135年間の2代から19代までの歴代住職は、何故か明らかではありません。

寛永8年(1638年)順省師が20代住職となり、西光寺再興の基盤を作りました。それ以後歴代住職は、宗教活動に努め、また、本堂、鐘堂、玄関、書院などを建立して浄土真宗の教えを学ぶ場を整え、寺院としての充実を図ってきました。